[3回]
ふと、思うことがあります。 正月に実家の三次でテレビを見ていました。テレ朝でナニコレ珍百景をやっていて、山口県柳井市平郡島に9年ぶりに小学校が開校されるという内容でした。島に移住してきた家族の女の子が小学生1年生になるため、廃校を急きょ改築し校長、担任の二人を招いて小学校が再開されていました。ウド鈴木がその女の子に会いに行くという、ほほえましい内容です。 つまり、その小学校には児童はその女の子だけです。それに対し、教員が2名いるということです。 少し違和感を感じないではなかったですが、島全体で歓迎するような雰囲気でしたので概ね島民も好意的なのだろうと勝手に思いました。 先日、たまたまこの平郡島にお住まいの方と話をすることがありました。 その方曰く、柳井市はこの小学校を再会するため、1年に1500万円程度の予算を計上しているそうです。つまり、卒業までに約1億円がかかることになります。島では、消波ブロックの修理や波止の改修など本来はやって欲しいことがたくさんあるようですが、この1億円のためにその他の事業には予算が付かないといわれていました。しかも、移住した家族は島の出身者ではなくまったく別のところからこられたそうで、ずっと定住するかどうかもわからないそうです。 つまり、あまり肯定的にはとられていないという感じでした。 ものの見方は立場が変わると、大きく違いますよね。あらためてそれを感じました。 確かに、女の子には教育を受ける権利がありますが、そのために二人の教員が単身赴任で来られるとなると、犠牲も大きいですよね。だって、その教員にも家族があるはずですから。それなら、女の子が本州に住む方が合理的とも思います。もともとの島民ならやむを得ないのでしょうが、そうでないだけに複雑ですね。 税金というものはやはり平等感があって初めて成り立つものです。したがって、どこかに偏るとどうしても不満が残ります。平郡島の話は分配についてですが、負担についても一緒ですね。 そういう意味では、所得税を払わないお年寄りや低所得者からも薄く課税する消費税アップはやはり必要と思うのですが…。民主党はきらいですが、野田前総理の功績を現自民政権は無駄にしないようにして欲しいです。
[4回]
途中でやめては気持ちが悪いので、その後の車についても書いておこう。 ブログを見た人から、大学生の時から車持ちで贅沢…といわれましたが、確かにそう思われるかな。 でも、学生時代は車を買うために相当バイトしましたけどね。さらに教養時代は、パチンコでかなりもうけました。当時は攻略できる機種があって、朝から晩まで売って10万てこともそれなりにありましたね。今では考えられません。 パチンコ歴は長いので、これについてもいずれ書こうかな。 医者になって2年目にプレリュードが壊れたので、初めて新車を買いました。 CR-X デルソルです。完全なツーシーターですね。屋根が開きますがリアは残りますので、オープンカーではなくトランストップという様です。僕のは手動で屋根をはずすタイプだったので、雨が降ると大変でした。新車でしたがやはりプレリュードからはかなり車格も排気量も落ちるため、なんだか寂しい気がしました。しかし、VTECエンジンは気持ちよく回りましたね。 その後、結婚して子供ができたためさすがにツーシーターでは不便になりました。 初代ハリアーです。この強い押し出しと堂々とした風格に引かれました。でも、ケチって2.2Lを買ったため、車重のわりに非力で高速道路の坂道では軽に抜かれました。ゆったりと乗るにはいい車ですが、ロールが強くてワインディングでは必ず後部席の子供が酔っていました。でも、高級感は味わえる車ではありましたね。このころちょうど島根県の益田市の病院に勤務していたため、R191を何度も往復しましたね。 そして今の車です。 スバルアウトバックです。この頃はレガシーという名は付かず、アウトバックのみが正式名ですね。 3人息子の写真付きです。夏に大島に行ったときですね。 ハリアーと違ってサスが固く乗りやすいですが、ゆったり感はありません。もともと三次の病院に赴任するつもりでいたので、雪でも乗れるように四駆の車を考えて買いました。でも、医局の意向で呉に赴任したため、雪道での本領は封印されたままです。僕は自転車通勤なので、もっぱら家内の車です。 さて、開業した後は何に乗ろうか。外車は嫌いなので、国産で。今度は通勤にもう1台必要になるので、自分用にきびきびした車が買いたい。今ほしいのは、ホンダS2000です。中古しかないけど。
[2回]
BS日テレで毎週水曜日22時からやっている「おぎやはぎの愛車遍歴」がおもしろい。 http://www.bs4.jp/aisya_henreki/outline.html 最近はほとんどテレビを録画してまで見ることがなくなりましたが、見逃せない数少ない番組です。 前回の江川達也もおもしろかった。最後に出てきたマクラーレンSLRはなんと6000万円だそうです。マンションを売って、買ったそうですよ。そこまで車にかけるのはどうかとも思いますけど。 この番組を見ていると、自分の車遍歴をつい考えてしまいます。 最初の車は大学2年の時に手に入れました。中古で50万円でしたね。 ホンダのバラードスポーツCR-Xという2+2の車でした。当時、「FFライトウェイトスポーツ」という新ジャンルの車といわれました。 よく故障する車でしたが、ずいぶん乗りましたね。九州、四国を1周したこともあります。大学5年の時にとうとう壊れてしまいましたが。 この車が壊れて困っているときに、同級生のお兄さんが医者になったので学生の間に乗っていた車を安く譲ってくれました。それが3代目のホンダ プレリュードでした。 2リッター車でずいぶん車格が上がった気がしました。めずらしいことにマニュアル車でしたね。これは医者になったあともしばらく乗っていましたが、クラッチが壊れて廃車になってしまいました。国道のど真ん中でクラッチが完全にへたってしまい、ギアが入らなくなり立ち往生してしまいました。 時間がなくなったので、続きはまた別の時に。
[0回]
[6回]
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_466963 いよいよ明日が消費税法案の採決です。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120606/lcl12060608030001-n1.htm
ツタヤの宅配レンタルの契約期間がまだ残っていたので、「半次郎」と「桜田門外ノ変」を借りてみました。まだ、半次郎しかみていませんが。 半次郎とは、前回書いた西郷隆盛・考にもでてくる桐野利秋の旧名で「中村半次郎」のことですね。「人斬り半次郎」と言った方がピンと来るかもしれません。 半次郎役の榎本孝明さんの熱意は相当なもので、企画から13年越しで公開までこぎつけたそうです。たしかに、映画を見ていてもその熱気というか熱い思いが伝わってきます。でも、見所はそれくらいでしょうか。 とにかく西南戦争の戦闘シーンがやたら長くて、戦争に至るまでの時代背景はさっぱりわかりません。西郷、大久保役は誰ともわからないような大根役者で(失礼!)、みていてイライラしました。また、永山弥一郎や村田新八、篠原国幹、別府晋介、辺見十郎太などが死んだときにはいちいちテロップで享年、死地がでますが、永山弥一郎以外はほとんどちょい役なので、それなりに歴史好きでなければ誰ことかちんぷんかんぷんでしょうね。まぁ、そもそも歴史好きでなければ借りてみないか…というつっこみはあるかもしれませんが。 「桜田門外ノ変」はこれからみます。こちらの方がおもしろいという評判です。 そういえば、大河ドラマの「平清盛」も視聴率が悪いそうな。あれも、出てくる役柄が清盛や義朝以外はなじみがなさ過ぎて、誰が誰だかわかりにくいと思いますね。ずっとみていれば、だんだんなじんでくるんでしょうが。最近は誰もが飽きっぽいのでそこまで待てないんでしょうね。
[1回]
昨日に続き、ブログを更新します。しかし、昨日とは違い、肩の力を抜いたお話を。 1/24のブログにも書きましたが、ツタヤの宅配レンタルで「翔ぶが如く」を借り、本日で概ね見終わります。全部見るだけの時間はないので、記憶をたどりながらおもしろそうなところのみをつまみ食いですけど。司馬遼太郎氏の小説「翔ぶが如く」は明治維新後から始まりますが、大河ドラマの「翔ぶが如く」は一部が幕末、二部が維新後の二部構成です。一般には幕末の方がおもしろいのかもしれませんが、僕には維新後から西南戦争までの小説「翔ぶが如く」と同じ二部の方が断然おもしろいですね。 西郷隆盛については今なお大人気の偉人ですが、その半生をを正確に知る人は意外と少ないのかもしれません。維新の功労者であり明治政府の巨頭なのに、征韓論で破れて反乱の首魁となり自刃したといったところでしょうか。しかし、彼が本当に自分の意志で生きていたのは幕末までで、それ以降は自己犠牲の繰り返しです。 第一の自己犠牲は廃藩置県を断行するため無理矢理鹿児島から東京につれてこられたときです。島津久光の君命を破る形で薩摩藩士を御新兵として使いましたが、日本の近代化のためにはやむにやまれぬ苦渋の選択でした。 第二の自己犠牲は難題が山積する中で政治家たちがこぞって外遊していくときに辛い居残りを担わされました。このときの外遊は岩倉使節団といわれ、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などの重鎮が逃げるように日本を去っていったわけです。西郷は重要なことは何一つ手を付けてはならないと鈴を付けられた形で居残りを強いられ、さらにその居残り組には大隈重信や江藤新平など野心むき出しの手練れがいたから大変です。結局、色々と手を付けざるを得なくなり、その事を帰国した大久保などに責められることになります。そして死に場所を求めて征韓論に奔るわけですね。いったんは是認されたかに思えた征韓論も結局大久保や伊藤の暗躍の前に敗れ去ることになります。もちろん、この時点で征韓論に乗って朝鮮を攻めた方がよかったかどうかは別の話です。西郷自身は特使として朝鮮に単身渡るつもりだったのでしょうが、もし西郷が彼の地で殺されれば結局は戦争になったでしょうから、当時の国力では受け入れがたかったでしょう。ただし、西郷にとってはまたもや裏工作に翻弄されたわけです。 最後の自己犠牲は、鹿児島の不平士族の旗頭となり西南戦争を起こしたことです。西郷自身は必死になって私学校の不平士族を押さえ暴発を食い止めてきたのに、大久保の命を受けた川路からの密偵により挑発されてとうとう暴発してしまいます。暴発した彼らを政府に差し出すことができず、西郷はその反乱に体を預けることになります。そして、政府軍に負けてしまい九州から出ることもできず敗走が始まります。最後は城山で別府晋介に介錯されて落命します。 西郷隆盛の魅力はどこにあるのでしょうか。維新以降の西郷をみると単なる愚鈍な大男にしか思えないところがあります。憎たらしいほどに長けた幕末の薩摩藩の外交活動を指揮した人物とはとうてい思えませんね。その答えは僕にもわかりませんが、思うにこの自己犠牲にあるのではないでしょうか。一切の言い訳をせず、自分の体を他人に預けきることができたところが、石田三成にも似ています。公平無私の人としてよいのでしょうか。 「敬天愛人」はいい言葉ですね。
時事通信 3月11日(日)17時33分配信