昨日に続き、ブログを更新します。しかし、昨日とは違い、肩の力を抜いたお話を。 1/24のブログにも書きましたが、ツタヤの宅配レンタルで「翔ぶが如く」を借り、本日で概ね見終わります。全部見るだけの時間はないので、記憶をたどりながらおもしろそうなところのみをつまみ食いですけど。司馬遼太郎氏の小説「翔ぶが如く」は明治維新後から始まりますが、大河ドラマの「翔ぶが如く」は一部が幕末、二部が維新後の二部構成です。一般には幕末の方がおもしろいのかもしれませんが、僕には維新後から西南戦争までの小説「翔ぶが如く」と同じ二部の方が断然おもしろいですね。 西郷隆盛については今なお大人気の偉人ですが、その半生をを正確に知る人は意外と少ないのかもしれません。維新の功労者であり明治政府の巨頭なのに、征韓論で破れて反乱の首魁となり自刃したといったところでしょうか。しかし、彼が本当に自分の意志で生きていたのは幕末までで、それ以降は自己犠牲の繰り返しです。 第一の自己犠牲は廃藩置県を断行するため無理矢理鹿児島から東京につれてこられたときです。島津久光の君命を破る形で薩摩藩士を御新兵として使いましたが、日本の近代化のためにはやむにやまれぬ苦渋の選択でした。 第二の自己犠牲は難題が山積する中で政治家たちがこぞって外遊していくときに辛い居残りを担わされました。このときの外遊は岩倉使節団といわれ、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などの重鎮が逃げるように日本を去っていったわけです。西郷は重要なことは何一つ手を付けてはならないと鈴を付けられた形で居残りを強いられ、さらにその居残り組には大隈重信や江藤新平など野心むき出しの手練れがいたから大変です。結局、色々と手を付けざるを得なくなり、その事を帰国した大久保などに責められることになります。そして死に場所を求めて征韓論に奔るわけですね。いったんは是認されたかに思えた征韓論も結局大久保や伊藤の暗躍の前に敗れ去ることになります。もちろん、この時点で征韓論に乗って朝鮮を攻めた方がよかったかどうかは別の話です。西郷自身は特使として朝鮮に単身渡るつもりだったのでしょうが、もし西郷が彼の地で殺されれば結局は戦争になったでしょうから、当時の国力では受け入れがたかったでしょう。ただし、西郷にとってはまたもや裏工作に翻弄されたわけです。 最後の自己犠牲は、鹿児島の不平士族の旗頭となり西南戦争を起こしたことです。西郷自身は必死になって私学校の不平士族を押さえ暴発を食い止めてきたのに、大久保の命を受けた川路からの密偵により挑発されてとうとう暴発してしまいます。暴発した彼らを政府に差し出すことができず、西郷はその反乱に体を預けることになります。そして、政府軍に負けてしまい九州から出ることもできず敗走が始まります。最後は城山で別府晋介に介錯されて落命します。 西郷隆盛の魅力はどこにあるのでしょうか。維新以降の西郷をみると単なる愚鈍な大男にしか思えないところがあります。憎たらしいほどに長けた幕末の薩摩藩の外交活動を指揮した人物とはとうてい思えませんね。その答えは僕にもわかりませんが、思うにこの自己犠牲にあるのではないでしょうか。一切の言い訳をせず、自分の体を他人に預けきることができたところが、石田三成にも似ています。公平無私の人としてよいのでしょうか。 「敬天愛人」はいい言葉ですね。
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